ヨガでは、この例えがよくつかわれます。
そして放った矢は、その時点で自分のカルマをつくりだしています。
ただ、フと思ったこと。
放った矢は、視点や立場によっては
もっと鋭く上の方に放つべきだし、
柔らかく手前に落ちるように放つべき。。
それとも、放ち方に 'べき' なんてないのでしょうか。
ダルマに逆らわない道をただ、行動することをしたい
と思うけれど
放つ前に 'べき' についてどぉしても考えてしまう。
だから、導いてくれる人や、
情報に惑わされない真の真と向かい合う時間が
必要なんだなぁ、と思います。
真実を見つめられますように。
Om shanti
-- iPhoneから送信
そして放った矢は、その時点で自分のカルマをつくりだしています。
ただ、フと思ったこと。
放った矢は、視点や立場によっては
もっと鋭く上の方に放つべきだし、
柔らかく手前に落ちるように放つべき。。
それとも、放ち方に 'べき' なんてないのでしょうか。
ダルマに逆らわない道をただ、行動することをしたい
と思うけれど
放つ前に 'べき' についてどぉしても考えてしまう。
だから、導いてくれる人や、
情報に惑わされない真の真と向かい合う時間が
必要なんだなぁ、と思います。
真実を見つめられますように。
Om shanti
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